社団法人浦安薬剤師会10周年記念
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会員雑感
鈴木 昇造先生 / 設立10周年記念座談会 / 編集後記


鈴木昇造先生
過去を振り返り思い出深い事と言えば、富岡調剤薬局の開局と閉局であろう。昭和58年頃、順天堂大学は、浦安病院の開院に向けて、病院経営安定化の点から、医薬分業を行うべく準備していた。薬局は滝川氏が株式会社順江会を設立、準備していた。ところが、昭和58年、“分業に関する三原則”が公布され、順江会の薬局では保険薬局契約がとれなくなってしまった。紆余曲折が有ったが、調剤の専門家の団体である、(社)千葉県薬剤師会が運営するなら、という超法規的解決法で決着した。その後、三原則は改善されないままだったので、平成10年3月富岡調剤薬局は閉局し、月一万数千枚の処方箋が市中に放出された。

これは革命的な出来事だった。当時、相次ぐ大型チェーン店の進出にあえいでいた市内の薬局にとって大きな経済的効果をもたらした。OTCが尻貧だったので、順天堂大学浦安病院の処方箋は希望の星だった。翌11年には、市民病院も、全面分業にふみきった。順天堂大学浦安病院、市民病院の処方箋受け入れ状況を観て、市内の診療所、医院でも処方箋発行にふみきる所が増えて来た。順天堂大学浦安病院の処方箋拡散が浦安市内の分業推進に大きく貢献したのだった。

いわば平成10年は浦安市内の分業元年だったのでは、ないかと思われる。

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設立10周年記念座談会
日時
平成18年4月5日(水)PM9:30〜10:30
場所
地域連携室1.健康センター内
出席者
高橋春夫、田中靖祥、古河末子、出羽文明、和氣信郎、春井宏子


高橋: 社団法人浦安市薬剤師会設立10周年にあたって、市川市薬剤師会当時から今までを振り返って色々と思い出を語っていただきたいと思います。 浦安市薬剤師会が独立する前の市川市薬剤師会での活動は、いかがでしたか。
春井: 入会審査が厳しくて、勉強会には必ず出席しなければならないので、毎月勉強会に出席していました。その頃の市川市薬剤師会の研修会は昼間、保健所の2階であり、毎回保健所からのお話がありましたので、参加者が多く大盛況でした。研修会には、浦安の先生は、「茂木(かすが薬局)・古河(コガ薬局)・鈴木(佐室薬局)・太田(太田薬局)・小川(小川薬局)・森田(森田薬局)」先生が参加されていました。
高橋: コガ薬局は開局が早かったですが、その頃浦安はいかがでしたか。
古河: 東西線が開業する(*1969年3月29日東西線 東陽町〜西船橋間開業)1年前に、田んぼの中に開局しました。その頃は、薬局開局に距離制限があり、一番近い浦安薬局(落合先生)から計って200mの制限をぎりぎり超えていたので保健所から許可が下りて、開局できました。
高橋: 最初、学薬はどのように活動していましたか。
古河: 最初の学薬(市川市薬剤師会所属の頃)は、太田先生(太田薬局)と小川先生(小川薬局)、落合先生(浦安薬局)が三人でされていて、その後、小川先生の代わりに鈴木先生(佐室薬局)が入り、落合先生の代わりに私が誘われたのでやり始めました。

その後茂木先生(かすが薬局)、新矢先生(若葉漢方、現在一真堂薬局)が加わり、5人で一緒に南小学校、浦安小学校、北部小学校、浦安中学校を車で回り検体を集め、検査は市川保健所の検査室を借りて市川の検体と一緒に行いました。

当時、学薬の検査は飲料水とプール水の水質検査でした。空気検査は石炭ストーブだったので最初はありませんでしたが、途中から行うようになりました。
高橋: 浦安の薬局で一番早く院外で調剤を始めたのはコガ薬局ですね。
古河: はい、昭和46年(1972年)に、市川の「にいの先生」が浦安で耳鼻科を開院されました。ドイツで勉強されていたので院外処方について良く理解されていて、ご高齢なので院外で調剤をしてくれる薬局を探されていました。「にいの先生」から直々に、院外での調剤について指導を受け勉強しました。

耳鼻科は、浦安で「にいの先生」の医院が1軒だけでしたので、レセプトは毎月2000枚位ありました。当時はパソコンも無く、月末には手計算での紙で10畳の座敷が一杯になり、本当に大変でした。しばらくして、パソコンが出来て、初めはレセプトを印字するだけで6時間もかかりましたが、随分楽になりました。

その後隣に眼科が出来、院外での調剤をお願いしますというお話があり、だんだんに調剤が増えていきました。「にいの先生」との出会いがあったので、ここまで順調に進んでこられたと思います。
春井: 最初の出会いが良かったですね。
出羽: 順天堂大学浦安病院の設立(*1984年(昭和59年)5月16日開院)当時はどのようでしたか。
高橋: (株)順江会が院外処方箋応需の準備を進めていましたが、同一敷地内での開局に許可が下りず、千葉県薬剤師会が会営薬局を作り、運営することになりました。順江会職員だった宇田先生(平成18年3月16日ご逝去)が、原田薬局長の元、富岡調剤薬局の基礎を作られました。

その後、富岡調剤薬局は地域の拠点薬局として、又備蓄センターとして、地域に密着した薬局に発展し、平成10年に閉局する時にも、順天堂大学浦安病院の院外処方箋が浦安市内薬局に順調に流れるように、研修会(当事富岡調剤薬局の薬剤師だった、コトブキ薬局の竹本先生が講師をして下さいました。)を行ったりし道筋をつくって頂きました。

宇田先生のご尽力により、今日の浦安市の分業の礎が出来ました。又富岡調剤薬局の小松先生には浦安市薬剤師会の学術研修会担当理事として協力して頂き、研修会や献血等薬剤師会の事業に富岡調剤薬局から多くの先生方が参加し会務に協力して下さいました。
高橋: 浦安市薬剤師会の設立ですが、平成6年に設立準備会を作って、「茂木(現千葉県薬剤師会会長・かすが薬局)・古河(コガ薬局)・春井(ヤマザキ薬局)・小松(富岡調剤薬局)・田中(とみおか薬局)・伊藤(個人会員)・田村(タック)・久保(薬局ドラッグジロー)」先生と私(タカハシ薬局)9名で毎月のように集まって話を進めていました。

浦安市の医師会、歯科医師会が社団法人を取得して、薬剤師会もということで千葉県薬務課に行くと、「社団法人の取得は、困難ですよ。」と言う返事でした。設立目標を平成8年4月において、準備会で悪戦苦闘しながら、紆余曲折があり、平成8年3月28日に書類の提出、4月1日に事務所開きと、やっとのことで設立にこぎつけました。

しかし千葉県薬務課の担当者の異動が4月にあり、4月中に再度書類を提出しなければなりませんでした。平成8年4月15日の浦安市薬剤師会設立総会には、会員45人中35名もの先生の参加があり、設立に対する皆さんの想いの強さを感じました。5月16日に社団法人浦安市薬剤師会の認可が下り、地域に貢献出来る薬剤師会として、浦安市からの委託を受け、急病診療所薬局の執務への協力、学校薬剤師会業務の協力を行ってきました。
春井: 設立時には、太田先生(太田薬局)から、「浦安市薬剤師会は、これから女性の力が大事なので古河先生と力を合わせて頑張ってください。」と背中をおされました。
高橋: 女性の先生の力は今も大きいですね。
和氣: 市川市薬剤師会から独立して当初の急病診はどのようでしたか。
高橋: 当初、浦安市急病診は、コガ薬局の近くの地区保健センターで平日隔日と土日で行われていました。急病診療所が今の健康センターに平成11年10月30日に移行した後、毎日行われるようになりました。

今では、執務に大勢の先生に協力してもらっていますが、市川から独立後、執務者が不足して、市川市薬剤師会の平川先生(久保薬局)には平成15年3月まで、「稲上(アサヒ薬局)・大芝(オオシバ薬局)・宮崎(ミヤザキ薬局)」先生には平成17年の3月末まで執務にご協力いただき大変助かりました。
出羽: 順天堂大学浦安病院から院外に処方箋が出るようになった時はどのようでしたか。田中先生は分業担当理事をされていたのでご苦労があったのではないですか。
田中: 順天堂大学浦安病院の門前薬局の富岡調剤薬局が閉局になると言うことで、患者さんの不安がとても大きかったですが、富岡調剤薬局で患者さんに薬のリストを持たせてくれて、市内の薬局に相談に行くようにという対応をしてもらったお陰で、患者さんが市内のかかりつけ薬局を探す手助けになりました。富岡調剤薬局の対応には、感謝しています。

それから、備蓄の問題ですが、備蓄センターも無く、市内の薬局では、そんなに多くの備蓄を置くことが出来ないので、さくら薬局浦安店、トウキョウベイニューファーマシー、コスモ調剤薬局、日本調剤薬局とうち(とみおか薬局)の5店が備蓄に協力することになりました。

それでうちの薬局には、卸さんに頼んで、出なければ返品してもらう約束で順天堂の採用薬を3〜4ヶ月分置いてもらっていました。1日、10件以上の薬の問合せや小分けがありました。当時は大変でしたが、市内の各薬局さんが、それぞれ一生懸命対応していただいたお陰で大きなトラブルもなく分業が順調に進み、当初22店位で始めた院外処方箋の応需も現在マップ掲載薬局が37店にもなりました。
和氣: 患者さんから浦安の昔の話を聞くことが多いので、こういう座談会も大変勉強になりますね。
高橋: また機会があれば座談会を行いたいですね。これで閉会に致します。

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編集後記
5年前理事会で毎年少しづつ貯めて行けば設立10周年の記念事業が出来るよね・・
お金は出来そうだがどうする?何をする?会員の大切なお金だし、記念講演会やるとき誰を呼ぶ?浦安市薬剤師会らしい候補者は?市民や会員にお役に立つには?・・・etc。

やっと昨年決めた講師が体調を崩して今年になって出演不能、パニック、HさんのIT能力発揮で切り抜け、5〜6年前であれば10年誌発行となったところ「記念CD」発行を決め、KさんHさんの腕の見せ所CDのレイアウトから色校、さらには記念品、ポスター、入場券、会場予約、設営、看板・・・・etc。記念会開催とCD作成の同時進行です。皆さんの協力なしには出来上がりませんでした。やってる内に設立時の諸先輩のご苦労が身にしみてきました。

もの足りなさを感じる事があるかもしれませんが是非皆様が行間から諸先輩のご苦労を読み取ってください。明日がさらに開けるように思います。また10年後に必ずもう一度これを開いてみてください。

最後に作成にご尽力いただいたプラネットコムの皆さんに心からお礼申し上げます。

10周年記念準備委員会(高橋・出羽・田中・畑中・倉田)



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